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【ジャガー・XK140】初めてATを採用したジャガーモデル

ジャガー・XK140の概要

1954年のロンドン・モーターショーで発表されたジャガー・XK140。1948年に発表され大ヒットとなったジャガー・XK120の後継車です。1957年までの3年間で合計8,884台が生産されました。XK140の140は、最高速度が140mph(約225km/h )であることを表します。

XK140が発表されたのは1954年ですが、その前年までジャガーは3年続けてル・マンで優勝しています。XK140の広告では「ル・マンで培った豊富な知識や技術を惜しみなく詰め込んだモデル」と謳っていました。

ジャガー・XK140と先代のXK120とは外観上、際立って大きな違いはありません。フロントとリア両方のボンネット中央に入っているクロームのラインがXK120とXK140を見分ける際の最も分かりやすい相違であると言えるでしょう。その他にはフロントグリルの形状が変更された点、グリルに埋め込まれているベーンが太くなり、本数が減っている点、ジャガーのエンブレムがグリル内に埋め込まれた点、バンパーの形状が代わり、大型化している点で見分けることができます。バンパーが大きくなった理由は、交通量が増えたことによって事故の発生率が上がり、事故時の衝撃吸収としての役割が重要視されるようになったためです。リアのエンブレムには”Winner Le Mans 1951–3”の文字が見られました。

ジャガー・XK140ではさらに、エンジンの搭載位置が前方に移動したために、前後の室内空間が広がり、居住性がアップしています。XK120は2座席でしたが、XK140ではクーペとソフトトップを備えたドロップヘッドタイプに2+2の4シーターが出現し、レッグルームにも余裕があります。60年以上前のモデルでありながら、リアシートからトランク・スルー構造となっており、実用性も考慮されてました。

ステアリングには、ラック・アンド・ピニオン方式を採用。エンジンは190hpまで出力が高められた直列6気筒XKが搭載されます。特別装備として、ジャガー・Cタイプに採用されたレーシングモデルのシリンダーヘッドを搭載した210hpエンジンがオプションで用意されました。

日本では1959年にグレゴリー・ペック主演で映画化もされた『渚にて』で知られる小説家、ネビル・シュートがXK140でレースに参戦した記録が残っています。

ジャガー・XK140のラインナップ

ジャガー・XK140のラインナップは、2シータオープンのロードスター、ドロップヘッド・クーペ(DHC)、クーペモデル(FHC)の3つ。ドロップヘッド・クーペモデルではアメリカの要望に応える形で1956年からボルグワーナー社のAT車も追加されました。これは、ジャガーのスポーツカーとしては史上初。さらにアメリカ向けのほとんどのモデルでは、ワイヤーホイールが採用されました。

ロードスタータイプのルーフは軽量のキャンバス製で座席の後方に外から見えない位置に折りたたまれます。インテリアには、ダッシュボードに至るまでレザーやフェイクレザーがあしらわれていました。XK120のロードスタータイプと同様に取り外し可能なサイドカーテンとトノカバーと呼ばれる後部のカバーが装備されています。XK120と変わらず、フロントガラスは取り外し可能です。

ドロップヘッド・クーペのルーフには、ロードスタータイプのルーフよりも厚くしっかりとしたキャンバス素材が用いられました。ルーフの収納時には、シート後部のボディにかぶさる形になります。フロントガラスは固定されており、手回し式のウィンドーとウォールナット材のダッシュボード、ドアキャッピングが特徴です。ドロップ・ヘッドタイプのルーフの開閉は、一人で簡単に行えるようになりました。

クーペモデルのインテリアはドロップヘッド・クーペと共通しています。プロトタイプよりもルーフが前後に長くなり、フロントガラスがより前方に設置されました。その結果として乗り降りが容易になり、居住空間が広がりレッグルームに余裕が生まれています。4シータとなったクーペモデルの全長は4,470mmとXK120よりも106mm延長され、全幅、全高ともにそれぞれ一回り拡大しました。

エンジニア、ウィリアム・ヘインズ

ここで、XKエンジンの生みの親で、ジャガーをジャガーたらしめた人物であるとも言われるウィリアム・ヘインズをご紹介しましょう。ウィリアム・ヘインズは、1904年12月31日生まれの自動車エンジニアです。工業技術を学んだ後、1922年にスーパー・スナイプで知られた自動車メーカー、ハンバー社のテクニカル部門で仕事を始めます。主にエンジンの開発に従事、1930年からはテクニカル部門で部門長を務めていました。

当時まだ社名変更していなかったジャガー社ことSSカーズはその頃、よりパワフルなエンジンの開発を模索していました。ハンバー社の成功を支えるウィリアム・ヘインズの才能に目を留めたSSカーズの最高責任者ウィリアム・ライオンズはヘインズに、自分のもとで仕事をしないかと働きかけます。

SSカーズでは、第二次世界大戦中も新しいスポーツカーの製作を目指して開発が続けられていました。具体的には、時速100マイル(時速約160km)の突破が大きな目標でした。時速100マイルを達成するためには、既存のエンジンの改良だけでは不可能であり、自社製エンジンをゼロから開発する必要があることをライオンズ氏に納得させたのがウィリアム・ヘインズです。

1945年3月、SSカーズはジャガーへと社名を変更しました。同時に、ウィリアム・ヘインズに3.5Lエンジンの開発が命じられます。これが後にセンセーショナルとも形容され、現在まで受け継がれているツインカム直列6気筒エンジンの開発スタートです。4年後の1949年、ウィリアム・ヘインズを中心に、ウォルター・ハッサン、マルコム・セイヤーの尽力により、これほどまでに卓越した高性能エンジンは存在しないと評価されたXKエンジンが誕生しました。XKエンジンは、XK120を皮切りに、XK140、XK150、ル・マンで優勝を飾ったCタイプ、Dタイプにも搭載され、その他、数々の国際レースで輝かしい実績を残したモデルにもこぞって採用され、ジャガーの評判を揺るぎないものにしました。アメリカにイギリス車が受け入れられたのも、XKエンジンの存在が大きく影響したと言われています。

ウィリアム・ヘインズはXKエンジンの開発後も、ジャガー・XK120、XK140、XK150の他、ジャガー・Cタイプ、Dタイプ、Eタイプ、マーク7やサルーンを含め、エンジンと数多くのモデルのデザイン開発を手がけました。1930年代前半に入社して以来、彼のジャガー社への貢献は、1969年に副社長として退職するまで35年以上にわたります。1989年に亡くなる直前には、永年にわたる自動車業界への業績を称え、イギリス女王からナイトの称号を与えられました。

スペック詳細

ジャガー・XK140のロードスター・スペック詳細

エンジン:3,442cc直列6気筒DOHC
最高出力:190 hp / 5,500 rpm
最大トルク:203 ft-lb / 3,000rpm
最高速度: 200km / h
0−100km/h加速:9.2秒
ボディサイズ:全長 4,470mm、 全幅 1,638mm、 全高 1,359mm
車両重量: 1,295kg
駆動方式:FR
トランスミッション:4速MT
乗車定員:2人
新車時車両価格:ー

ジャガー・XK140のドロップヘッド・クーペ(DHC)・スペック詳細

エンジン:3,442cc直列6気筒DOHC
最高出力:190 hp / 5,500 rpm
最大トルク:203 ft-lb / 3,000rpm
最高速度: 200km / h
0−100km/h加速:9.2秒
ボディサイズ:全長 4,470mm、 全幅 1,638mm、 全高 1,397mm
車両重量: 1,295kg
駆動方式:FR
トランスミッション:4速MT
乗車定員:2人+2
新車時車両価格:ー

ジャガー・XK140のクーペモデル(FHC)・スペック詳細

エンジン:3,442cc直列6気筒DOHC
最高出力:190 hp / 5,500 rpm
最大トルク:203 ft-lb / 3,000rpm
最高速度: 200km / h
0−100km/h加速:9.2秒
ボディサイズ:全長 4,470mm、 全幅 1,638mm、 全高 1,397mm
車両重量: 1,295kg
駆動方式:FR
トランスミッション:4速MT
乗車定員:2人+2
新車時車両価格:ー

参考
Looking back to 2015 | Building The Legend
Bill Heynes | Hammings
Cat, Interrupted | Driven to Write
Six Cylinder XK Engine 1948 – 1992 | Jaguar Daimler Heritage Trust

ジャガーXK140
引用:wikipedia

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