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【ジャガー・XJ220】ジャガー史上、最速のスーパーカー

ジャガー・XJ220のプロトタイプ発表

ジャガー社のスーパーカー、XJ220のプロトタイプが発表されたのは、1988年、イギリス第2の都市バーミンガムで開催された英国国際モーターショーでのことです。ジャガー社のメカニカル部門でディレクターを務めていたジム・ランドル氏がクリスマス・ホリディ中に構想を得て、ジャガー・CタイプやDタイプのような、公道も走れるレース・マシンを作りたいと考えたことが始まりでした。

ジャガー・XJ220の220は、時速220マイル/時(354km/時)を目指していたことに由来します。同様のネーミング方法は、1948年に発表されたジャガー・XK120にも見られました。XK120の発売時には、最高速度120マイル/時(193km/時)が目標とされ、当時は世界最速のモデルでした。

1987年に社内の有志を募り、取引先にもパーツの提供を求めながら、就業時間外に作業を進め、ミッドシップに6LのV12気筒エンジンを搭載した4WDが完成しました 。モーターショーで発表されると大きな注目を集め、当初予定していた220台を大幅に超える1500台もの予約が殺到。急遽、製造予定台数を350台に増加しました。

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1988年、バーミンガムで開催された英国国際モーターショーにおける、ジャガー・XJ220の映像をこちらでご覧になれます。40秒くらいからがお披露目です。

ジャガー・XJ220、東京モーターショーにて市販モデル発表

ジャガー・XJ220の市販モデルが発表されたのは、1991年10月から11月にかけて幕張メッセで開催された第29回東京モーターショーでのことでした。この年のテーマは「発見、新関係。人・くるま・地球。」で、代替エネルギー車や電気自動車が多く出品され、「環境や人にやさしい」車が注目を集めました。また来場者が東京モーターショー史上初の200万人を突破した年でもあります。(参考:「TOKYO MOTOR SHOW 第29回 東京モーターショー1991」)

日本メーカーとしては、ダイハツから2シータのライトウェイトスポーツカーX-021、トヨタからコンセプトカーのアヴァロン、日産からは大型サイズ・クーペTRI-X、マツダからはロータリーエンジン搭載のHR-Xがそれぞれ発表されました。

1988年に発表された市販モデルのジャガー・XJ220。デザインはプロトタイプをほぼ忠実に引き継がれたものでした。しかし、プロトタイプに採用されていた6LのV12気筒エンジンは、市販モデルでは3.5LのV型6気筒ツインターボに、4WDはRWDに変更されていました。これはXJ220の開発に時間と費用がかかり、また重量が重くなったことが原因でした。

エンジンがV型6気筒に変更になったものの、最高速度は347km/時と当時の世界最速記録を達成、0-100km加速は3.9秒。しかしバブル景気が終わりつつあったことも影響し、6LのV12気筒エンジンを期待していた顧客は落胆を隠しませんでした。1500台ほとんどにキャンセルが相次ぎ、最終的な販売台数は281台にとどまりました。この販売台数には諸説あり、275台であったとする記録もあります。

スーパーカーであってもジャガー社らしさは失われておらず、XJ220のインテリアには最上級のコノリーレザーや高級ウールカーペットが用いられています。これが、他社のスーパーカーとは一線を画すジャガーらしい特徴です。価格は47万ポンド、6千万円超となっていました。

ブレーキはABS付きベンチレーテッド・ディスク、ステアリングにはパワーアシスト付きラック&ピニオン式が採用されています。

エンジニア、ジム・ランドル

ジャガー・XJ220は、ジャガー社のエンジニアであったジム・ランドル氏の情熱的な思いつきをもとに誕生。1988年のモーター・ショーでの大反響を機に、ジャガー社の正式なプロジェクトに昇格しました。ここでは、ジャガー・XJ220の生みの親、ジム・ランドルをご紹介します。

ジム・ランドルは1938年生まれ。昨年2019年7月6日に亡くなりました。彼の自動車産業界への貢献やその人柄への惜しみない称賛の他、エンジニアとしての彼の、スピードへの情熱は語り尽くせるものではないとの声などがオンラインで見られます。

ジム・ランドルはローバー社の見習いとしてセダンP6の開発に携わった後、1965年からジャガー社で働き始めました。1960年代後半に始まったイギリス資本の自動車会社による合併劇や国営化、オイルショックなどの苦境を乗り越え、1980年代のジャガーは生産体制の改革や、生産効率の見直しを経て、経営が回復しました。1975年発表のスポーツカー、ジャガー・XJS、1982年に開発がスタートしたレーシングカーXJ-R5、1988年のル・マン優勝を飾ったXJ-R9は全て、ジム・ランドルがエンジニアとして参加したモデルです。

ジャガー・XJ220の他に、ジム・ランドルの仕事として最も知られているモデルは1986年に発表された大型ラグジュアリーサルーン、ジャガー・XJ40であると言えるでしょう。ジャガー・XJ40は、創業者ウィリアム・ライオンズがデザインや技術面の責任者を務めた最後のモデルです。XJ40は1968年発売のXJ6の後継車として、1970年代を通して開発が進められました。1972年にはプロトタイプが出来上がっていましたが、1973年のオイル・ショックや、それに続く自動車メーカーの合併劇などの混乱から、開発は一時中断。1981年、ようやくXJ40の商品化が認められ、1984年の発表が決まりました。

しかし同年、ジャガーが吸収され国営化されていたBL(ビーエル・カーズ)からの民営化が始まり、その混乱により、最終的に発売されたのは1986年のことです。2度に渡る延期を経る間に、当初の設計より25%も少ないパネルでの製造が可能となり、必然的に製造工程が効率化されただけでなく、総重量が軽量化し、構造的に硬度を増す結果となりました。

ジム・ランドルはまた、1972年に引退したウィリアム・ライオンズ氏と共に仕事をしたエンジニアの最後の一人でもありました。ジム・ランドルは、「ライオンズ卿を敬愛していた」と述べています。

27才でジャガー社に入社し、8年後にはその才能を認められエンジニア部門のチーフに昇進、42才でエンジニア部門のディレクターのポストに就いたジム・ランドル。1980年代後半、ジャガー社がフォード傘下に入ってからは、多くのエンジニア達が経営方針に幻滅してジャガーを去りましたが、ジム・ランドルもその一人でした。

ジャガー退社後の彼は、ボルボでガスタービンを使用したハイブリッドカーの開発に尽力した後、バーミンガム大学で自動車エンジニアリングの教授になります。ここでの研究がMGローバーやモーガン社などで採用された新しい自動車構造につながっています。

スペック詳細

ジャガー・XJ220のスペック詳細

エンジン:3,498ccV型6気筒DOHC
最高出力:542 hp / 7,000 rpm
最大トルク:472 ft-lb / 4,500rpm
最高速度: 347km / h
0−100km/h加速:3.8秒
ボディサイズ:全長 4,851mm、 全幅 2,007mm、 全高 1,143mm
車両重量: 1,560kg
駆動方式:MR
トランスミッション:5速MT
乗車定員:2人
新車時車両価格:47万ポンド(6千万円超)

参考:
Jim Randle | Jaguar Heritage Trust
Jim Randle: A Personal View | Xclusively Jaguar
In Memoriam : Jim Randle | Driven To Write
Jim Randle 1938-2019 | Driven To Write

出典:wikipedia

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