ロータス・エランの概要
出典:wikipedia
ロータス・エランには、1962年から1975年に製造された初代エランと、1989年から1995年に製造された2代目エランがあります。初代エランはFR、2代目はFFです。この他に、ロータス社ではなく韓国の自動車メーカー、キアから発売された「キア・エラン」が存在します。
初代エランには、2人乗りの2ドアクーペモデルと2ドアロードスターモデルが存在しました。13年間でエンジンやブレーキ、内装、外装、タイヤ、ホイール、ライトの形状やサイズなど、あらゆるパーツに絶え間ない変更を受け、シリーズ4まで登場しました。
同じシリーズ内であっても、出力性能の違うエンジン、内外装や、開発コードから異なるモデルが存在するなど、シリーズの特定が難しい場合もあるようです。
モーターショーでの発表直後から人気を博した初代ロータス・エランは、1960年代に放映されたイギリスのテレビシリーズ「おしゃれ㊙︎探偵」に登場しました。イギリスの俳優やミュージシャンにもファンが多く、アメリカの俳優やコメディアン、レーシングドライバーにも多く所有されたとされます。
初代エランはまた、マツダ・ロードスターのデザインにインスパイアを与えたとも言われています。
次いで1967年に発表されたのが、ロータス・エラン+2と呼ばれるモデルです。ホイールベースが長く、幅広くなり、子どもが座れるサイズの2つのシートが追加されました。
初代のエランは独身者と若いカップルを対象にしていたのに対し、+2モデルは子どものいる家族向けという位置付けでした。
2代目ロータス・エランの開発コードはM100です。2シータのコンバーチブル・スポーツカーです。イスズのマニュアルトランスミッション・エンジンが採用されています。
2代目ロータス・エランの開発には、ロータス社史上最高額の開発費およそ40米ドル、現在の日本円にして約42億円が投入されたと言われています。
1995年に2代目ロータス・エランの製造が中止された後、韓国の自動車メーカー、キアがエランの製造販売権を買い取りました。キアは、1996年から1999年に、キア・エランを製造販売し、日本と韓国で合計1,056台を売り上げました。
初代ロータス・エラン
初代のロータス・エランは、トラブルの頻発したロータス・エリートへの反省から、丈夫な量産車を目標に作られました。創業者コーリン・チャップマンはまた、販売数の増加を目標に北米市場を目指していました。
コーリン・チャップマンは、常に「軽量化」を追求してきましたが、初代ロータス・エランはその思想を十全に具現したモデルであると考えられています。
1962年、アールズコートで行われたモーターショーで発表されたロータス・エランの初代モデルは、ロードスターモデル限定での発売でした。ロードスターモデルに剛性を持たせるために、デザイナー、ロン・ヒックマンは、スチール製のシャーシにFRP製のモノコック・ボディを組み合わせ、強度と軽さを実現しました。この手法はエラン以降の多くのロータスモデルで採用されています。
FRPとは、軽量のエポキシ樹脂やフェノール樹脂といった熱硬化性樹脂と、弾性率の高いガラス繊維や炭素繊維などを複合して作られた強化プラスティックのことです。
ロン・ヒックマンはシンプルでエレガントなデザインにリトラクタブル・ヘッドライトを組み合わせ、イギリスのライトウェイトスポーツカーを代表するモデルを誕生させました。
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自動車のデザイナー、ロン・ヒックマンは現代の自動車デザインのレジェンドと言われています。1932年に南アフリカで生まれた弁護士でしたが車への情熱を捨てられず、1954年にイギリスに渡り、フォードに入社しました。
1956年にアールズコートに開催されたモーターショーでコーリン・チャップマンと運命の出会いを果たし、ロータス・エリート、エラン、ヨーロッパを手掛けることになりました。
初代ロータス・エラン+2
1967年6月、初代ロータス・エランに「+2」が追加されました。名前が表す通り、初代エランに、後部座席に子どもが座れる程度のスペースが用意された、ロータス社初のファミリー向けモデルとされています。
全長、全幅ともに二回りほど大きくなり、初代エランとは大きく異なる印象を与えます。重量も初代エランが640kg、+2モデルでは835kgと大幅に増加しました。
初代エランがコンパクトで典型的なイギリスのライトウェイト・スポーツカーであるのに対し、エラン+2は、より優雅さを増した上品でラグジュアリーなスポーツクーペであると言えるでしょう。
続いて1971年に発表されたのは「ロータス・エラン+2S 130」です。
「ロータス・エラン+2S 130」は、ビッグバルブ付きの1.6Lエンジンで126hp/6,500rpmを実現。さらに「ロータス・エラン+2S 130/5」は「ロータス・エラン+2S 130」の4速ギアボックスを5速に変更して誕生しました。
初代ロータス・エラン+2シリーズは、1975年までに5,200台ほどが製造されたとされます。
2代目ロータス・エラン
1982年に創業者のコーリン・チャップマンが亡くなった後、経営難が悪化し、ロータス社は1986年にGM(ゼネラルモーターズ)傘下に入ります。結果として、2代目ロータス・エランは、ロータス史上最高額の開発費を得ることになりました。
2代目ロータス・エランが発表されたのは1989年8月です。M100という開発コードが与えられた2代目エランは、FFの2ドアロードスターで、イスズの1,588ccV型16バルブDOHCエンジンが搭載されました。
2代目エランのテーマは、初代エランと同様、小さくて手に入りやすい価格帯のモデルというものでしが、初代エランと2代目エランは、同じ名前を持ちながら、全く別の車になりました。
2代目のエランのデザイナーは、イギリスの自動車エンジニア、ピーター・スティーブンスです。ピーター・スティーブンスはマクラーレン・F1やジャガー・XJR-15、スバル・インプレッサ555WRC、MG・ZR、ZS、ZT、ローバー・ストリートワイズなどのデザインを手がけたことで知られます。
2代目ロータス・エランは、GM社が採用していた市販車の強度・耐久実験をクリアし、ロータス社モデルへの信頼性を向上させました。さらに、直進、コーナー両方におけるパフォーマンス、走行安定性、快適性のいずれに対しても高い評価を得ました。しかし一般から集まった人気は、初代エランにも、ライバル車であったマツダ ・MX-5にも及びませんでした。
最終的な総生産台数は3,855台となり、発売から3年後の1992年に製造中止となりました。
しかし2代目ロータス・エランにも、シリーズ2が存在します。ロータス・エランの製造中止を知ったイタリアの企業家、ロマーノ・アリティオリが、2代目エランの製造販売権を買い取ったのです。ロマーノ・アリティオリはこの時点ですでに、イタリアの自動車メーカー、ブガッティを所有していました。
ロータスが2代目エランの製造販売を中止した際、工場にはエラン用のエンジンが800ほど残されていたといいます。市場調査の結果アリティオリは、ロータスの販売価格より抑えたプライスで販売することで、利益を得られると判断しました。
2代目エランのシリーズ2は、このような経緯により誕生しました。2代目エランのシリーズ2に技術的な変更は基本的に発生しませんでしたが、数点の部品にのみ、改善が施されています。
スペック詳細
初代ロータス・エランのスペック詳細
エンジン:1,588cc直列4気筒DOHC
最高出力:114 hp / 5,500 rpm
最大トルク:108 ft-lb / 4,000rpm
最高速度: 195km / h
0−100km/h加速:6.8秒
ボディサイズ:全長 3,680mm、 全幅 1,420mm、 全高 1,170mm
車両重量: 560kg
駆動方式:FR
トランスミッション:4速MT
乗車定員:2人
新車時車両価格:-
2代目ロータス・エランのスペック詳細
エンジン:1,588cc直列4気筒DOHC
最高出力:130 hp / 7,200 rpm
最大トルク: 105 ft-lb / 4,200rpm
最高速度: 196km / h
0−100km/h加速:7.9秒
ボディサイズ:全長 3,803mm、 全幅 1,734mm、 全高 1,170mm
車両重量: 1,020kg
駆動方式:FF
トランスミッション:5速MT
乗車定員:2人
新車時車両価格:-