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【MGB】世界で最も売れたオープンカー

MGBの背景

MGBは、1955年に販売開始されたMGAの後継車として、1962年10月にMG(当時はBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション))から発売されました。MGBはマツダ・ユーノスロードスターが登場して記録を塗り替えるまで、世界で最も多く販売されたオープンカーとして知られています。販売台数は386,789台、そのうちの9割までもがアメリカに輸出販売され、左ハンドル仕様で作られました。日本にもほんのわずかですが輸入されたという記録が残っています。

MGは1924年の創業後、生産台数の増加に伴い二度の移転を経て、1929年にイギリス・オックスフォードシャーのアビントンにある、元は皮革製品の工場だった場所へ移転しました。MGBは1962年の生産開始から1980年10月までアビントンで生産され、その後アビントンの工場は閉鎖されました。アビントン工場の閉鎖にあたっては、周辺で反対運動がいくつも起こりましたが、最終的にはMGBの生産終了とともに工場も閉鎖となりました。MGBの生産場所としては、例外的にオーストラリアで組み立てられた1万台ほどが存在しています。

上記の通りMGは、生産工場を転々としましたが、生産会社もたびたび変更されています。BMCになる前にも統合、合併、吸収を経てきましたが、MGBの発売後は1967年にBMH(ブリティッシュ・モーター・ホールディングス)、さらに1968年BLMC(ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション)、1978年ビーエル・カーズと変遷します。これは1975年にBLMCが破産寸前と判断され、イギリスがBLMCを国有化した時代も含まれます。

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MGBは発売以来、オープンカーとしては世界で最大の生産台数を誇りました。しかし1989年に発売されたマツダ・ユーノスロードスターが2000年までの世界の販売台数を53万台超に伸ばし、その記録を塗り替えました。

MGBはマツダ・ユーノスロードスターに少なからず影響を与えたと言われています。ユーノスロードスターの開発のきっかけは、MGのようなオープンスポーツカーが欲しいという発言であり、それをきっかけにカリフォルニアのデザインスタジオで開発が始まったというエピソードがあります。

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MGBのスタイルの変遷

MGBは先代MGAよりも全長が短くなりましたが、運転席、特に足元はMGAよりも広々としていました。またベンチシートではなく助手席側とは独立したシートが採用され、それぞれで位置の調整ができました。当時の雑誌で「あらゆる点においてMGAを遥かに超える」と称されたほどの洗練された現代的なデザインと安定した走り、軽快なハンドリング、メンテナンスの容易さ、皮張りのインテリアと、シートとの色合わせが美しいパイピング、より静かになり快適性が向上し、信頼性が向上したことにより、MGAを超える人気車となりました。今でもファンが多く、世界各地にMGBに特化したオーナーズクラブやカークラブが存在します。またMGBの取り扱いをしているディーラーも多く存在し、現在のMGBは、ビンテージカーの入門車という位置づけにあります。さらに各パーツの取り扱い業者も豊富なため、世界中で様々にチューニングをして楽しまれています。

MGBにはロードスターの他に、1965年に登場したGTと呼ばれるピニンファリーナデザインのハッチバッククーペがラインナップとしてあります。GTモデルのデザインはウィンドーより下の部分にはロードスターモデルと違いはありませんが、リアを開けた時に、リア部分と客室空間に仕切りがなく、また室内の天井が高くなっています。室内の天井高が高くなったことに伴って、リア、サイド共にウィンドーがロードスターモデルよりも大きく取られています。

1962年から1980年までの間のMGBのデザインに関する大きな変化としては、1975年に衝突安全基準を満たすために大型のラバーバンパーの装備を余儀なくされた点です。大型のバンパーは外観の魅力を損なっただけでなく、車両重量が重くなり、スポーツカーとしてのMGBに大きく影響しました。

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MGのオーナーズクラブ
世界で一番の会員数を誇るMGのカークラブ、MGCC(MG Car Club)は1930年の設立で、メンバーは世界中で5万人であると公表されています。かつてMGのディレクターを務めたセシル・キンバーのお墨付きで始まったこのクラブは現在もMGの工場が存在したアビントンの敷地に事務所を構えています。

MGCCと並んで有名なMGのオーナーズクラブMGOC(MG Owner’s Club)は1973年に創立されました。毎月『エンジョイニングMG』と呼ばれる雑誌を発行する他、パーツの供給、故障や購入の際のアドバイス、世界各地でのイベント、MGでの旅のサポートなどが行われています。

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MGBの特徴

ラダーフレームを採用したMGAとは異なり、MGBはスチール製モノコックボディを採用。より軽く、速く、安定性と快適性、信頼性を兼ね備え、かつ多くの人に手の届く価格帯のボディが実現しました。これはBMCが多くの自動車メーカーを合併、吸収、統合を繰り返した会社であることが理由で、自社の別ブランドから部品を調達できたことが大きな理由の一つです。

フロントサスペンションを取り付けるためのフレームがモノコックボディに追加されていて、ここにステアリングラックも積載されているという、現代のモノコックボディとは異なる作りになっています。ロードスター、クーペタイプともにエンジンはMGAから引き続き、BMCのBタイプ、1.8L直列4気筒OHVをフロントに搭載。ブレーキ、サスペンションはMGAを踏襲しました。1964年10月にクランクシャフトの改良により、1,798ccのBシリーズエンジンは95 hp / 5,400 rpm を実現しました。しかしその後、1975年アメリカの排気ガス規制基準を満たすため、エンジン能力は減速せざるを得ませんでした。

ブレーキは前輪がディスク式、後輪にドラム式が採用されています。1974年までのキャブレターは38mmツィンSU、1975年以降は44mmシングルストームバーグが装備されました。ギアボックスはノンシンクロメッシュ、ストレートカットの4速マニュアルギアボックスが標準装備、オーバードライブがオプションでした。このギアボックスはMGAで使用したものを、大きな排気量に対応するようマイナーチェンジしたものです。電気的にエンゲージしたオーバードライブギアボックスが全てのMGBでオプションとして用意されていましたが、採用されたのは全体の20パーセント以下にとどまりました。

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オーバードライブ
ここでいうオーバードライブは、プロペラシャフトの回転数がエンジンの回転数を上回ることにより、高速での走行をエンジンの回転数が低い状態で可能にする装置のことです。

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MGBのライバル

1960年代のアメリカでは、戦後イギリスから帰国したアメリカ兵たちが持ち帰ったイギリス車人気が続いていました。販売台数から言うとMGBが最も人気のあった車であることに間違いはありませんが、ライバル車が存在しないわけではありませんでした。1952年にロータス・エンジニアリングとしてスタートしたロータス・カーズは、1954年の株式会社化以前から、数々のレースでの優勝を重ね、1958年にはモナコグランプリに参戦。生産台数はMGBと比べるまでもありませんが、徐々に優れたレーシングカーメーカーとして頭角を表します。

ロータス・カーズのヨーロッパは、ロータス・セブンの後継車として1966年に製造が開始され、1975年までに9200台以上が製造され、ミッドシップエンジンを搭載していました。2006年にはヨーロッパSとして復活を果たしました。漫画『サーキットの狼』に登場する車で、ご存知の方も多いかも知れません。イギリスで作られた車にもかかわらず、輸出することを目的に作られたため、オリジナルの状態では全て左ハンドル仕様でした。生産コストを削減し、一般的に手に入りやすいスポーツカーを目指して作られたヨーロッパは、ロータス・エランを踏襲した軽量なボディでエンジンはルノーからの流用、ウィンドーは固定で、内装や快適装備は省略されましたが、高い評価をもって受け入れられていました。

MGBのスペック詳細

MGB ロードスターのスペック詳細

エンジン:1.8L直列4気筒OHV
最高出力:95 hp / 5,400 rpm
最大トルク:107 ft-lb / 3,500 rpm
最高速度:166 km / h
0−100km/h加速:13.0 秒
ボディサイズ:全長 3,891 mm、 全幅 1,522mm、 全高1,254mm
車両重量:910 kg
駆動方式:FR
トランスミッション:4速MT
乗車定員:2人
新車時車両価格:-

MGB GTのスペック詳細

エンジン:1.8L直列4気筒OHV
最高出力:95 hp / 5,400 rpm
最大トルク:112 ft-lb / 3,000 rpm
最高速度:175 km / h
0−100km/h加速:12.5 秒
ボディサイズ:全長 3,880 mm、 全幅 1,520mm、 全高1,250mm
車両重量:1,050 kg
駆動方式:FR
トランスミッション:4速MT
乗車定員:2人
新車時車両価格:-

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