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【ジャガー・Cタイプ】ル・マン初優勝を飾ったレーシングカー

ジャガー・Cタイプの概要

ジャガー・Cタイプは1948年に発表されたジャガー・XK120をベースに作られたレーシングカーで、公式名称をジャガー・XK120Cといいます。XK120Cの「XK」は搭載したエンジンを表し、Cは「競争、コンペ」などを意味するCompetition の頭文字から来ています。1951年から1953年の間に53台のみ製造され、そのうちの43台がアメリカを中心に輸出されました。当時、新車時の販売価格はジャガー・XK120の約2倍、およそ6,000米ドルでした。現在の価値に直すと、約60,000ドルに相当します。

ジャガー・Cタイプとジャガー・XK120のフロントサスペンションはほぼ同じものですが、リアサスペンションは一新され、ブレーキは4輪ともディスクブレーキに変更、排気バルブは拡大されました。これらの改良により、Cタイプの最高出力は200馬力に達しました。

CタイプのシャーシはXK120に用いられた重量のあるシャーシに代わってエンジニア、ウィリアム・ヘインズのデザインによる軽量のチューブラー・フレームが採用されました。空気力学を応用したボディはウィリアム・ヘインズとボブ・ナイト、マルコム・セイヤーが共同でデザインしたものでした。アルミニウム製で小舟のようなスタイルのCタイプでは、市販車に採用されていた足元のカーペットや外側のドアノブなどのレースに必要のない装備が省略されました。

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チューブラー・フレームとは、航空産業や建築界で用いられる構造手法で、モノコックフレームに勝る強度と剛性を持ち、かつ軽量であることが特徴です。鳥かごやジャングルジムと称されることもあり、自動車の形の骨組みのような見た目をしています。フェラーリが長年採用していることでも知られます。日本では1977年に日野車体工業が角型鋼管スケルトン構造のバスを製品化し、「スケルトンボディ」として有名になりました。ただ大量生産できない点がデメリットです。

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ジャガー・Cタイプのラインナップ

ジャガー社にとってレーシングカーの歴史の始まりと位置付けられるジャガー・Cタイプ。ラインナップは3つです。初代と3代目はそれぞれ1951年と1953年のル・マン優勝の歴史を誇ります。また現在でも人気のあるモデルで、億単位での取引がされているのに加えレプリカなども多く出回っています。

Cタイプは3.4Lエンジン搭載のXK120をベースに作られました。総生産台数53台のうち最初の3台は1951年のル・マンのために作られました。ドラムブレーキ、1 3/4インチのツインカムSUキャブレター、後にレターボックスと呼ばれるようになった前にせり出す小さな波のような形のボンネットが特徴です。1951年のル・マンに出場した3台のうち、2台はオイルプレッシャーの低下のためリタイアを余儀なくされました。しかしピーター・ホワイトヘッドとピーター・ウォーカーがドライバーを務めた1台はこの年、優勝を勝ち取ります。

翌1952年には市販車のCタイプが発売されます。レース用とは異なり、2インチサンドキャストSUキャブレター搭載、インテリアにレザーのトリムを採用、レース用と比べ大幅に小型化されたボンネットを特徴とします。この年のル・マンにもジャガー社から3台が出場しましたが、いずれもオーバーヒートにより棄権せざるを得ませんでした。3台中、1台が棄権した理由はオイルプレッシャーの低下。残る2台のオーバーヒートはヘッドガスケットが吹き飛んだことが原因でした。レース後にジャガー社のテストドライバーであるノーマン・デウィスが確認したところ、オーバーヒートはクーリングシステムの変更により引き起こされたことが分かりました。その他にも、ウォータータンクのプーリーを小さくしたことにより必要以上に速い速度でプーリーが回転しキャビテーションが起こったことと、タンクの位置をラジエーターから離したこと、さらにチューブの直径を小さくしたため充分な冷却ができなくなったことが判明。クーリングシステムを見直した結果、オーバーヒートは起こらなくなりましたが、このモデルはリアのダウンフォースが十分に得られず、120mph(時速193km)を超えると安定性を失い、車体が持ち上がる現象が起きるという問題を抱えていました。

1953年のモデルは再びル・マンに向けたもので軽量化を最重要課題としていました。このモデルに採用されたキャブレターはWeber社製45mm DCO3。ボティのアルミニウムはよりスリム化が図られ、ル・マンを走行するモデルとしては初めてダンロップのトリプルポットディスクブレーキを採用しました。さらにゴム製で袋状の燃料タンク、軽量化された電子機器もまた最重要とされた課題解決に寄与したと言えるでしょう。上記の努力により、このモデルの最高出力は215馬力に達し、1953年のル・マンで圧勝、1位、2位、4位をジャガーが占めました。1位のドライバーはトニー・ロルトとダンカン・ハミルトン、2位がスターリング・モスとピーター・ウォーカー、4位がピーター・ホワイトヘッドとイアン・スチュワートでした。

2人のドライバー:ピーター・ウォーカー、ピーター・ホワイトヘッド

ここでは1951年のル・マンで初の優勝を果たした際のドライバー、ピーター・ウォーカーとピーター・ホワイトヘッドをご紹介します。

【ピーター・ウォーカー】

ピーター・ウォーカーは1912年生まれのイギリス人。23才でレーシングドライバーとしてのキャリアをスタートさせました。1951年のル・マンを共に闘ったホワイトヘッドは、ウォーカーを評してドライバーとしての高いスキルを持ちながら、レースから離れたところでは陽気で愛すべき人物であったと述懐しました。

1948年、プレスコット・ヒルクライム・ミーティングでの活躍ぶりがジャガー・レーシングチームのマネージャー、ロフティ・イングランドの目に留まります。その2年後1950年にはシルバーストーンで開催された1時間のプロダクションカーレースにジャガー・XK120で参戦、優勝。1951年、初優勝を飾ったル・マンの本番前のテストドライブ中、ウォーカーは平均時速104mph(約167km)、ラップタイム4分50秒を記録しました。この記録には目を見張るものがあり、他のドライバーは誰も、相方のホワイトヘッドでさえもラップタイム5分を切ることはできませんでした。

1951年のル・マン。ジャガーからは3台がエントリーし、ウォーカーとホワイトヘッドが優勝します。残る2台は50ラップを数えたところでオイルプレッシャーの低下によりリタイアせざるを得ませんでした。このトラブルはエンジンの振動が排水パイプに伝わりヒビが入った結果であることが判明。残る1台のドライバーとなったウォーカーとホワイトヘッドの勝利はこの事象を避けながら残した結果でした。

1952年のシーズン中、数々のレースにおけるウォーカーの活躍はジャガー・Cタイプを初めて目にする人々、特にまだ戦後の混乱下にあった多勢のファンを勇気づけました。

スターリング・モスと組んで参加した1953年のル・マンではエンジンに問題が生じたものの2位でゴールします。ウォーカーはル・マンの他にもシルバー・ストーン・インターナショナル、ランス、グッドウッドなどのレースでトップレベルの成績を残しました。

【ピーター・ホワイトヘッド】

ピーター・ホワイトヘッドは1914年、イギリスのヨークシャーに生まれました。教養にあふれ、旅行好きだったと言われています。1951年のル・マンを共に戦ったウォーカーの他、弟であるグラハム・ホワイトヘッド、ジャガーのレーシング・ドライバーの一人であったダンカン・ハミルトンやスターリング・モスとペアを組むことが多くありました。

19才でライリーという街の小さなレースでレーシング・ドライバーとしてデビューしたホワイトヘッド。44才でレース中に事故に遭い亡くなるまでの24年間で75のレースに出場、優勝5回、準優勝6回、3位入賞7回という功績を残しました。

ホワイトヘッドにとって初のル・マンは1950年、ジャガー・XK120のドライバーとしてジョーン・マーシャルとチームを組んでのものでした。この年の結果は15位。ウォーカーと臨んだ翌年のル・マンは、数々の記録を残したホワイトヘッドのキャリアの中でも最も輝かしいものとなり、2位との差は9週もありました。1952年はホワイトヘッドにとってもジャガー社にとっても運が悪いとしか言えない年でしたが、翌年1953年のル・マンでジャガー社は1位と2位、さらにホワイトヘッドがイアン・スチュワートと共に
走った4位を勝ち取りました。この年のホワイトヘッドは幸運に恵まれ、6月のイエールでの12時間レースで優勝、7月のランスでの12時間レースでも優勝、8月のグッドウッドの9時間レースでは3位入賞を果たしています。

1954年のル・マンにホワイトヘッドはケン・ワートンと共にジャガー・Dタイプで出場しますが、残念ながら燃料の問題によりリタイア。しかし3週間後のランスで優勝を果たします。

1955年、ジャガー社はドライバーの選抜テストを予定していました。選抜テストのパスすることはないだろうと考えたホワイトヘッドは、オーストラリアに向かいます。この年、彼がジャガー社のモデルでレースに参加したのはマイケル・ヘッドとチームを組んだグッドウッドでのジャガー・Dタイプで臨んだ9時間レースでしたが、これは残念ながら棄権に終わりました。翌1956年の記録としては、スウェーデンで行われたグランプリレースで6位。1957年にはアストン・マーティンで複数のレースに出場しています。ホワイトヘッドの最後の輝かしいパフォーマンスとなったのは1958年のル・マン。弟グラハム・ホワイトヘッドと共にアストン・マーティンで準優勝を飾りました。

ジャガー・Cタイプのスペック詳細

エンジン:3,442cc直列6気筒DOHC
最高出力:200 hp / 5,800 rpm
最大トルク:220 ft-lb / 3,900rpm
最高速度: 232km / h
0−100km/h加速:-
ボディサイズ:全長 3,988mm、 全幅 1,638mm、 全高 1,080mm
車両重量: 965kg
駆動方式:FR
トランスミッション:4速MT
乗車定員:2人
新車時車両価格:6,000USD

参考
Peter Walker | Jaguar Daimler Heritage Trust
Peter Whitehead | Jaguar Daimler Heritage Trust
1952 Jaguar C-Type | RM Sotheby’s
Jaguar C-Type | Top Speed

ジャガーCタイプ
引用:wikipedia

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