ローバーミニのグレード・モデルを徹底解説、完全版!【プロが教えるローバーミニ中古車選び】

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クラシックミニフェスティバル2017

ミニは、約40年にわたって大きなモデルチェジなしに生産が続けられ、およそ539万台が生産された超ロングセラーモデルでした。そして、現在も多くの個体が生き残り、ファンに愛され続けています。

今回は、自動車史上に残る名車であるミニの歴史について、ベーシックモデルと高性能モデルのクーパーシリーズの2つに分けて解説します。

ミニ ベーシックモデルの歴史

まずは、ミニのベーシックモデルの歴史を紐解いてみましょう。

Mk-1(マークワン)シリーズ (1959年~1967年)

ミニシリーズの最初のモデルは、1959年8月に当時イギリス最大の自動車メーカーであったBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)が、オースチン(セブン)とモーリス(ミニマイナー)の2つのディーラーチャンネルから発売を開始。
ミニを設計したアレック・イシゴニスは、全長わずか3mあまりのコンパクトなボディに4人の大人を座らせるため、横置きFF方式のドライブトレインやラバーコーン式サスペンション、専用開発の小径10インチタイヤなど、画期的な機構を採用しました。パワートレインには、セブン/ミニマイナーとも共通で、水冷848cc直4OHVシングルキャブレター仕様の「Aシリーズ」エンジン(最高出力34ps/最大トルク6.08kgm)と、4速MTのみの組み合わせでした。
グレード体系は、セブンには「ベーシック・サルーン」と「デラックス・サルーン」の2タイプが用意されていた一方、ミニマイナーはモノグレード設定でした。

1961年9月、セブンに最上級グレードの「スーパー・サルーン」を追加。日英自動車によって日本での輸入販売が開始したのはこの年です。
1962年1月にセブンの車名が「ミニ」に変更され、同年10月にはデラックス・サルーンとスーパー・サルーンが統合されて「スーパー・デラックス・サルーン」となります。
1964年9月に足回りが水とゴムにより動作する「ハイドラスティック・サスペンション」に変更。1965年10月には、4速ATが追加設定しました。

Mk-2(マークツー)シリーズ (1967年~1969年)

1967年9月にMk-2シリーズに移行に伴い、従来モデルはMk-2と呼ばれるようになり、外観面では、フロントグリルの意匠変更やリアウィンドウとテールランプを拡大、メカニズム面では、スーパー・デラックス・サルーンのエンジンが998ccシングルキャブレター仕様(最高出力38ps/最大トルク7.28kgm)に変更されたほか、トランスミッションにも大幅な改良が施されました。

日本市場では、モーリス版が「マイナー1000」の車名で輸入販売を開始。
当時の新車販売価格は103万円で、国産高級車の「トヨペットクラウン・デラックス」が100万円、ポピュラーな輸入大衆車であった「フォルクスワーゲン1200(ビートル)」が78.5万円だったことを考えると高価な車でした。

その後1968年8月に、ノンシンクロだったローギアがシンクロメッシュ付きとなり、同年BMCがレイランド・モータースと合併し、BLMC(ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション)に名称変更となりました。

Mk-3(マークスリー)シリーズ (1969年~1977年)

1969年10月にMk-3シリーズに移行。本国では車名からオースチン/モーリスの冠名が消え、「BLMCミニ850/1000」と呼ばれるようになり、外観面では、ドアヒンジがアウター式からインナー式に変更され、洗練された雰囲気になりました。また、ドアウィンドウがそれまでのスライド式から巻き上げ式に変更されたほか、ドアノブのデザインを変更。一方、メカニズム面では、サスペンションがハイドラスティック式からMk-1時代のラバーコーン式に戻されたことが大きな変更点でした。
日本市場ではオースチン/モーリスのブランドが継承され、オースチン版が88.5万円、モーリス版が103.5万円で販売を開始。
1972年にドライブシャフトが変更されると同時に、発電機が直流式のダイナモから交流式のオルタネーターに変更され1976年にフェイスリフトが変更となりましたが、日本の排出ガス規制への対応が困難のため正規輸入が一旦中止になりました。

Mk-3シリーズ 以降(1977年~2000年)

1977年以降は、「Mk~」というシリーズ名が廃止。追って1978年に社名がBLMCからBLカーズに変更され、翌1979年には848ccエンジンを搭載するミニ850が廃止されました。
1980年、伝統のセンターメーターを捨て、運転席の正面に2連メーターが備わる「HL」と「HL-E」がリリース。1982年に、BLカーズの大衆車部門としてオースチン・ローバー・グループが組織されたほか、日英自動車の手により6年ぶりに正規輸入販売を再開しました。
導入されたグレードはHLで、パワートレインは三元触媒付の998ccエンジン(最高出力39ps/最大トルク7.1kgm)と4速MTの設定で、外観面では、ワイドな145SR10ラジアルタイヤをカバーするため樹脂製のオーバーフェンダーを装着。
販売価格は182万円で、後に194.5万円のAT仕様車が追加。ちなみに、この価格は国産高級スペシャリティカーの「トヨタ・ソアラ」の廉価グレードとほぼ同等の価格でした。

1983年に、3連メーターやモケット表皮のシートなどが備わる上級グレード「メイフェア」が追加されました。日本でも正規輸入され、販売価格はMT仕様が183.5万円、AT仕様が198.5万円でした。
1984年には、ホイールがそれまでの10インチから12インチに拡大され乗り心地が向上するとともに、フロントブレーキがそれまでのドラム式からディスク式に変更されたことにより、安定した制動力を得ることになります。
1985年に、日本の輸入代理店が日英自動車からオースチン・ローバー・ジャパンに代わり、10月に、グレードがメイフェアに一本化されました。また、価格がそれまでよりも廉価な159~174.5万円に引き下げられたことで、一気に人気が高まり街中で多数のミニを見かける事になります。
翌年の1986年、BLカーズの社名がローバー・グループに変更。1988年9月に、日本市場限定モデルとして内装を簡略化した廉価グレード「スプライト」が発売を開始。1989年には、ブレーキがサーボアシスト付きMT仕様のみの設定で、価格は144万円でした。この価格は、国産大衆車の「トヨタ・カローラ」や「日産・サニー」の中級グレードと同等で、同年、日本法人のオースチン・ローバー・ジャパンの社名がローバー・ジャパンに変更されるとともに、ミニは「ローバーミニ」と呼ばれるようになりました。日本での人気は更に高まり、翌1990年には販売台数が本国のイギリスを抜いて世界一になりました。
イギリスでは同年上級グレードの「クラブマン」と「メイフェア2」が追加され、翌年の1991年6月に日本でも発売を開始。4速MT仕様と4速AT仕様が設定され、価格はクラブマンが166~180万円、メイフェア2が173~191万円でした。
本国仕様のエンジンは1,271cc直4OHV電子燃料噴射仕様(最高出力53ps/最大トルク9.3kgm)に変更され、1992年6月、日本市場にも同型エンジンを搭載した「1.3」(MT仕様・149万円)、「1.3オート」(AT仕様・164万円)、「メイフェア1.3オート」(AT仕様・184万円)が導入されました。
1994年4月にグレードが「メイフェア1.3i」「メイフェア1.3iオート」の2タイプとなり、1996年2月の仕様変更でエアコンを標準装備。同時期に本革シート仕様の最上級グレード「ケンジントン1.3iオート」(AT車のみ・199万円)を追加。12月にグレードが「メイフェア」および「ケンジントン」の2タイプに変更されるとともに、メイフェアMT車のエンジンが「クーパー」MT車と共通の1.3L高出力版(最高出力62ps/最大トルク9.6kgm)に変更。
1997年モデルから安全対策として運転席のみエアバッグが標準設定となり、左右ドアにサイドインパクトバーを装備しました。
1999年6月に、ミニ誕生40周年記念モデルの「40thアニバーサリー・リミテッド」(MT車・229万円、AT車・239万円)を800台限定で発売開始。翌年の2000年10月をもってクラシックミニの生産終了となり、41年におよぶ長い歴史にピリオドが打たれました。

1959年から2000年の間、大幅な基本設計を行わずに生産を続けたミニ。1997年にラストミニとして登場したのが、セブン、クーパー、クーパースポーツパック、ナイツブリッジです。
残念ながら日本での正規輸入はありませんでしたが、並行輸入で購入する事が可能でした。
正規輸入のローバーミニと比べると、エクステリアでは大きな変更はありませんが、燃料噴射装置がシングルポイント インジェクションからマルチポイントインジェクションに変更となりました。
駆動系では正規輸入車のローバーミニと比べてハイギヤード化され高速走行時の燃費が向上しています。
その他に左フロントフェンダー内に収まっていたラジエターがフロントに移動した事により、冷却効果が向上しました。
インテリアではダッシュパネルにエアコンの吹き出し口が付かないため3連メーターを装着しています。

ミニ クーパーモデルの歴史

続いて、ミニクーパーの歴史について解説します。

Mk-1(マークワン)シリーズ (1961年~1967年)

ミニのベーシックモデルが誕生してから2年後の1961年10月、最初のクーパーモデルが登場しました。外観はフロントグリルの意匠とエンブレムが異なるくらいで控えめでしたが、心臓部のエンジンは大幅に変更を行い排気量が997ccまで拡大され2基のSUキャブレター、ベーシックモデルと比べると、21ps/1.38kgmアップの最高出力55ps/最大トルク7.46kgmを発生しました。
パワーアップしたエンジンに対応するためにクロスレシオの4速MTと、フロント・ディスクブレーキを採用しました。

1963年3月に、更なる高性能化を図った「クーパーS(1071クーパーS)」を追加。排気量1,071ccで、最高出力70ps/最大トルク8.58kgmを発生。パワーアップに伴いディスクブレーキの大径化とサーボアシストで安定した制動力を確保しました。
翌年の1964年1月、クーパーのエンジンは、ボア・ストロークの異なる998cc(最高出力55ps/最大トルク7.88kgm)に変更され、扱いやすさが向上しました。3月に、970ccエンジン(最高出力65ps/最大トルク7.6kgm)を発生する「970クーパーS」と、1275ccエンジン(最高出力76ps/最大トルク10.92kgm)を搭載する「1275クーパーS」がラインナップに加わりました。
8月にクーパー1071Sがカタログ落ちしたものの、それ以外のクーパーシリーズは9月にベーシックモデル同様、マイナーチェンジを行い、ハイドラスティック・サスペンションが採用されました。
1965年1月にクーパー970Sが廃止され、ラインナップはクーパー(クーパー998)とクーパー1275Sの2タイプに変更されます。

Mk-2(マークツー)シリーズ (1967年~1970年)

1967年10月にMk-2に移行しました。変更点はベーシックモデルに準じたもので、外観のリファインや後期モデルからトランスミッションのフルシンクロ化などが行われました。その後1969年11月にクーパーが生産終了となり、クーパーシリーズは1275Sのみとなりました。

Mk-3(マークスリー)シリーズ (1970年~1971年)

1970年3月にベーシックモデルに一足遅れてMk-3となり、ベーシックモデル同様、ドアまわりのデザイン変更が行われたほか、ギアレシオを変更。
しかし、エコロジーや環境に対する社会的な意識の高まりを受け、燃費や環境性能に劣るクーパー1275Sは、1971年7月に生産が打ち切られました。

Mk-3シリーズ 以降(1990年~2000年)

クーパー1275Sが姿を消してから19年後の1990年、クーパーシリーズは「ローバーミニクーパー1.3」として復活。パワートレインは、「ローバーメトロ」用の1,275cc直4OHVシングルキャブレター仕様(最高出力61ps/最大トルク9.2kgm)にトランスミッションは従来と同じ4速MTで、外観面では、ホワイトペイントされたルーフやボンネットのホワイトストライプ、専用デザインのアロイホイールを装着。内装面では専用シートや本革巻きステアリングホイールを採用。日本では、600台限定モデルとして発売開始。当時の価格は194万円でした。
1992年には、キャブレターに代わりインジェクションに変更となり日本導入は6月からで、エンジンのスペックはMT仕様の「クーパー1.3i」(198万円)が最高出力62ps/最大トルク9.6kgm、AT仕様の「クーパー1.3iオート」(213万円)がベーシックモデルと同じ最高出力53ps/最大トルク9.3kgmを発生。
1996年2月にエアコンが標準化となり12月には運転席エアバッグが採用され、グレード名が「クーパー」に変更。6月に最後の限定モデル「クーパー40thアニバーサリー・リミテッド」(MT車・239万円、AT車・249万円)が発売されたのち、ベーシックモデルとともに2000年で生産終了となりました。

まとめ

これまでの解説で、ミニには様々なタイプ・グレードがあったことがお分かりいただけたと思います。
特に、1980年代後半のキャブレターモデルや、1990年代のインジェクション(電子燃料噴射装置)モデルは、現在も多くの個体が中古車市場に出回っています。

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